太平洋戦争も起きていなかったかもしれない
70 Traveler 2017/10/03(火) 09:27:53 ID:
サイト歯科相模原日吉サンテラス歯科藤沢なのはな内科スマイル歯科アイ整形外科亀有リリオ歯科八王寺アクロスみなみの歯科足立ハート新宿くろさか歯科熊本ファミリー歯科桜台歯科森林公園滑川モール歯科小田原めぐみ歯科保土ヶ谷西谷富士見おとなこどもeedd
71 Traveler 2017/10/03(火) 13:08:37 ID:
>>69続き

1791年5月、メットカーフ父子とは別のアメリカ船がハワイに来島。カメハメハとカイアナ王子は同船の船長イングラハムと
贈答の交換を行い、マスケット銃を受け取っている。しかしこの時、カメハメハが船室から辞してカイアナ王子だけが残る
瞬間があり、そのとき王子が「カウアイ島に行くなら、同行したい」と呟いたことがイングラハム船長に、強い印象を残した

「カイアナは、出身地カウアイ島の軍に合流し、カメハメハと対抗しようともくろんでいる」と、船長は看破したのである
ともあれメッカトーフ船長が襲撃された事件のことはイングラハム船長も調査して手記を残しており、その余波であろうが
カメハメハの彼に対する態度にも不自然さがみられた。イングラハム船長はカメハメハの誘いを断り、沖合にとどまった

さて。カメハメハはコハラに、神殿を造った。その名もプウコホラ・ヘイアウ。人身御供をおこなう戦争用の神殿である
その上で「講和しよう」と偽って宿敵ケオーウアをおびき寄せ、カヌーに乗って訪れた彼を、儀礼用の神聖な槍で突き殺す
時に1791年。かくてハワイ島は再統一され、新築神殿のクーカーイリモク神は、その格式にふさわしい生贄を得たのだった

72 Traveler 2017/10/04(水) 11:34:43 ID:
>>71続き。なおその前に>69、>71の誤記を訂正。「メットカーフ」と「メッカトーフ」が混じっているが、前者が正解です

1792年3月2日、英国の提督ジョージ・バンクーバーが、再統一されて日も浅いハワイ島の西海岸を来訪する

当時、カメハメハは宿敵ケオーウア亡き後の土地再分配で忙しく、東海岸に滞在中だった。そのためバンクーバー提督との
折衝には、広東帰りのカイアナ王子が当たることになる。ところが彼はこの時、英語をすっかり忘れてしまっていたという
カイアナは例によって火器の入手を試みるが、提督はこれを拒否。代わりにブドウやオレンジの苗木を贈った。なお、この
時カイアナは自らを「カメハメハと同格の王だ」と偽り、「ハワイ島六郡のうち、南の三郡は自分の国だ」と主張している

バンクーバー提督は次にオアフ島のワイキキを訪問する。折しもカヘキリ王とカエオ王が、カメハメハの侵攻に備えて躍起
になっているとの情報にも接した。続いてかれはカウアイ島に向かい、ワイメア湾に一週間ほど滞在する

このときバンクーバー提督の船には王族イムナウ並びに、カエオ王の息子カウムアリイが訪れている
カウムアリイ王子は当時12歳。30人の従卒をしたがえ、自らは鉄の剣を帯び、13丁のマスケット銃と弾薬を装備していた
弱年のカウムアリイ王子の利発さは、英国の提督を感銘させた。彼の聡明さについては、他にも複数の西欧人が記述している

バンクーバー提督は、この航海ではカメハメハに会うことなくハワイを発った。なお提督が去った直後の3月7日、英海軍の
貨物船ダエダラス号がオアフ島に上陸したところ、ハーゲスト船長をふくめて3名の乗員が殺害される事件が起きている

73 Traveler 2017/10/05(木) 09:36:59 ID:
サイト歯科相模原日吉サンテラス歯科藤沢なのはな内科スマイル歯科アイ整形外科亀有リリオ歯科八王寺アクロスみなみの歯科足立ハート新宿くろさか歯科熊本ファミリー歯科桜台歯科森林公園滑川モール歯科小田原めぐみ歯科保土ヶ谷西谷富士見おとなこどもeedd
74 h 2017/10/05(木) 09:38:22 ID:
サイト歯科相模原日吉サンテラス歯科藤沢なのはな内科スマイル歯科アイ整形外科亀有リリオ歯科八王寺アクロスみなみの歯科足立ハート新宿くろさか歯科熊本ファミリー歯科桜台歯科森林公園滑川モール歯科小田原めぐみ歯科保土ヶ谷西谷富士見おとなこどもeedd
75 Traveler 2017/10/05(木) 13:49:31 ID:
>>72続き

1793年1月末、バンクーバー提督は二度目のハワイ島来訪を果たす。北西部カワイハエ湾に停泊し、カメハメハの側近に
して王族のケアモクに接触。その懇願に負けて、カメハメハ用だったヤギと羊を進呈する。提督はケアモクの村に上陸
し、回転銃などの火器が装備された軍船が建造されている光景を見た。プウコホラ・ヘイアウ神殿にも案内され、討ち
死にした敵兵の首が飾られているのを目撃した。1790年、ケオーウア軍が、カメハメハ軍によるマウイ島遠征のスキを
突いて攻撃してきた時に抗戦したのがケアモクであり、そのとき討ち取った首だとのことだった。

2月22日、タブー(物忌み)を済ませたカメハメハがやっと寵愛する王妃カアフマヌと英国人の顧問ヤングをしたがえて
来訪した。かつてクックの下士官だったバンクーバー提督は若いころのカメハメハを見たことがある。微かな記憶では
あったが、荒々しいイメージは持っていた。だが、この時の印象は激変していた。
「予想は心地よく破られた。若き日のどう猛さはやわらげられ、ふるまいは全体として開放的で快活、分別もあり寛大
さと徳がくわった」

提督に随行していた植物学者メンジ-も、「威厳にみちた振舞いが身についていた。柔和ではないが不愉快でもなく、
表情も富んでいるので、彼の同胞一般より感情が読み取れる。とぎれとぎれの会話でもすばやい理解を示すので驚いた
立ち居振る舞いは開放的で、愛想がよく自由闊達。初対面なのに、彼に惹かれていた」と激賞している

76 Traveler 2017/10/07(土) 16:49:23 ID:
>>75続き

その後、バンクーバー提督とカメハメハの間で贈与の交換があった。カメハメハがヘルメット4つ、カヌーに満載した肥えた豚、
そして芋を贈るのにたいし、提督は雌牛5頭と羊3匹を贈る。甲板上で生まれて初めて牛を見たカメハメハは巨大な豚だと思い、
喜ぶ反面その巨大さに恐怖を隠せず、噛まれぬよう用心していた。牛が顔を自分に向けると慌てて人垣に隠れたという。群衆も
カメハメハに劣らず牛を珍しがりかつ恐れ、牛がカヌーに乗せられて上陸すると、仰天して海に飛びこんで逃げたり椰子の木や
家の屋根に登り、それでも鈴なりで見入ったという。とまれカメハメハはこの「珍獣」のため、さっそく飼育責任者を指名した

だが、この贈り物に野心家のカイアナ王子とケアモクは嫉妬した。カイアナは自分も最高の豚を用意すると申し出たが、すでに
十分な供与を受けたとしてバンクーバー提督はこれを固辞。次の機会を約してかれを宥めた。このやりとりを見たカメハメハは
不機嫌そうに沈黙していた。その後、二人の間に冷ややかな雰囲気の会話があった。カメハメハは、許可も無く持ち場を離れて
勝手にイギリス人と交渉をしたカイアナに、鋭い皮肉を述べたように見えた。しかし白人の手前もあってか、暫くして二人は
冗談をとばしあい和解したように見えた

3月3日、バンクーバーはクックが死んだ海岸から上陸。念のため重武装していた。だがカメハメハはバンクーバーが礼装したと
でも誤認したのか、さっそくバンクーバーから贈与されたガウンをまとい、自ら村を案内する。カメハメハのファッションに
群衆からどよめきが起こり、カメハメハは得意満面だった。しかし同行していたカイアナは嫉妬を隠さなかった。バンクーバー
に、声高に、なぜカメハメハばかり優遇するのかと問うた。提督はカメハメハが王であることを指摘したが、彼は不服げだった

77 Traveler 2017/10/08(日) 12:04:46 ID:
>>77続き

バンクーバー提督が、カメハメハ王とそれ以外の首長の扱いに差をつけたのは、「それこそが、ハワイ安定の道だ」と考えて
いたからだった。だが当然ながら、こういう人間関係に対応するのに気苦労はつきものだったことも、書き残している
ともあれカメハメハの自尊心とカイアナ王子の野心は、すでに外国人の前でさえ取り繕えない段階に達していたのである

3月4日には150人の兵を参加させての、模擬戦の観戦があった。カメハメハ自身も参加しており、一戦士としても無双の豪勇
の持ちぬしであることを示している。夜にはバンクーバーが、返礼に西洋の砲術を派手に披露した。遠方で砲声を聞いた住民
らの間に、「カメハメハとバンクーバーの仲が決裂し、西欧人が村々を焼く」という不穏な噂が広がるしまつであった
それを見取った上でバンクーバー提督はカメハメハの英国人顧問デービスに、「この武器はカメハメハが他島の征服に使う
ためにではなく、彼の統治を安定させ、外国の侵略から国を護るため使うべきだ」と念押しした。すなわちバンクーバーの
目的は、カメハメハが他の島の主権者たちと和平をむすぶことにあったのである

だがカメハメハと率直に話し合った結果、和平の条件としてカメハメハが挙げた要求は法外だった。「カヘキリ王とカエオ王
は先の戦争で勝利したカメハメハにマウイ島とモロカイ島を割譲し、オアフ島・カウアイ島及び両島に属する小さな島々のみ
で平和に暮らせ」というものだった。バンクーバーは、「先方が受け入れられる内容ではない」と判断した。マウイ島遠征の
時にさえハワイ島内で反乱が起きた事を知っていたので、海を越えた諸島の統治はカメハメハには無理だと考えていた

78 Traveler 2017/10/08(日) 12:05:44 ID:
>>77は>>76の続きです。アンカーをミスりました
79 Traveler 2017/10/09(月) 11:01:53 ID:
>>77続き

カメハメハとその臣下たちは、明らかにバンクーバー提督の英国艦隊を自分たちの同盟者として、彼らの覇業に参戦させる
ことを目論んでいた。故に提督の中立的な態度に失望を隠さなかった。「かつてオアフ島で起きたダエダラス号襲撃事件は
カヘキリ王の兄弟が、下手人だ。彼らを成敗してほしい」と、熱心に請願したのである。
カメハメハたちはバンクーバー艦隊とほぼ同時にハワイ諸島を訪れたダエダラス号を、バンクーバーの部下の船だと信じて
いた。復讐をけしかけて、憤慨した提督が介入することを期待した。提督が「その気はない」と拒否すると、一様に驚いた

なおこの時のカメハメハとの会見においてバンクーバーは、キリスト教への改宗をカメハメハに勧めたものらしい。だが、
カメハメハは自分たちの神々の地位の降格を感じ取り、逆提案した。「それなら提督よ。あなたと、私の司祭。この二人で
ケアラケクア湾の断崖から飛び降りてもらう。より強い神に護られた側が、生きのこるはずだ」と。さすがにこの提案には、
バンクーバー提督も閉口して拒否した。そして恥じたのか、この件について彼の手記は完全に沈黙している。然るにこの時
のやり取りは、カメハメハの英国人側近ヤングによって後続の米英の航海者たちに言いふらされ、詳細が残ってしまった

その後さらに贈答の交換があり、また前後して船員らと島民らとの雑貨交易もあったが、すでに西洋人の物品は住民にとり
珍しいものではなくなっていた。インフレは4倍から5倍に達し、モノによっては売ろうとしても投げ返される始末だった
ともあれカメハメハとの会見を終えたバンクーバー艦隊は3月7日、マウイ島に旅立った。

80 Traveler 2017/10/10(火) 14:34:29 ID:
>>79続き

3月12日、バンクーバー提督はマウイ島ラハイナに到着。「ハワイ島に比べ荒廃した印象」と記す。翌日、カヘキリ王が訪れた
バンクーバーはカメハメハに贈与したのと同じマントを彼に贈呈し、他の首長らにもそれぞれの地位に応じた贈与をしたが、
これに対しカヘキリは「カメハメハ軍に田畑を荒らされ家畜を殺されて、返礼もままならない」という釈明をしている

バンクーバーはカヘキリに、カメハメハとの講和を勧める。マウイ島の荒廃はカメハメハの攻撃ならびに、大軍を維持するため
の強引な食糧調達に起因すると、提督は判断していたのだ。だがカヘキリは和平を望んでもカメハメハへの不信をぬぐえず、
「軍の動員を解除すれば猛々しいカメハメハは、たちまち侵略してくる」と反論した。バンクーバーは仲介を申し出て、ヤング
宛てに講和の手紙を出す事にする。だが、後にバンクーバー三度目のハワイ訪問で判明したことだが、手紙を携えたマウイ島の
使者はハワイ島西岸に上陸するなり現地の住民に殺害され、使命を果たせなかった。ハワイ島民はマウイ島の使者を、「神殿の
人身御供を盗みに来たのだ」と誤解したのである。

またバンクーバーは、「ダエダラス号襲撃事件」の犯人の処罰も求めた。これに対しカヘキリは、すでに首謀者のうち3人を
罰していること、残りも罰するので、弟のカモホモホをオアフ島まで同行させるむね宣言した。
なお植物学者メンジーはカヘキリの息子の同伴でラハイナ内陸を調査した際、田畑がよく耕作されていることを確認しており、
マウイ島の戦災の規模については、誇張がある可能性もある

81 Traveler 2017/10/11(水) 13:32:00 ID:
>>80続き

この時、珍事も起きている。マウイ島滞在最後の日、カヘキリ王があいさつもろくにせず、慌てて下船したのだ。バンクーバーは
自分に落ち度があったかと案じたが、最後まで船に残ったカエオから「カヘキリは礼儀を知らない人物だ」と説明を受けたという
しかしバンクーバーに批判的な植物学者メンジ-によれば、ニイハウ島から来訪した女性にバンクーバーが贈与したリボンが紛失
したことが、事件の発端なのだという。「ハワイ人の誰かが盗んだに違いない」と決めつけたバンクーバーが威嚇的な態度に出た
ため、驚いた首長らはカヌーで去ってしまい、カヘキリ王もあわててキャビンから飛び出し逃げたのだという
メンジ-は、「取るに足らない事で騒いで、マウイ王族との平穏な友好関係が終わってしまった」と書き残している

そこでバンクーバーはカヘキリ王に山羊を贈り火器演習を披露して、アメと鞭で懐柔したあとカモホモホを乗せてオアフ島に向う
ワイキキでは、3人の男がダエダラス号の乗員殺害のかどで連行されてきた。「下手人は、全身に入れ墨をしていた」という目撃
情報どおり身体の半分に入れ墨があったものの、カヘキリ王の部下はどれも似たり寄ったりだったから決め手とはいえない
ともあれ3人は、カヌーでバンクーバー提督の乗船ディスカバリー号の脇に連れてこられ、首長のピストルで脳天を撃ち抜かれた
この死刑執行についてはバンクーバー提督も確信が持てなかったが、提督に辛辣な下士官ヒューイットは、「罪状に関しては彼ら
は無実だと、後で聞かされた」と書き残している。タブーを破ったかどでの別件逮捕での処刑を、白人を宥めるために流用したと
いうのだ。もちろんバンクーバー提督は、その件についても沈黙している

同じころ、カウアイ島で首長イナムーの圧政にたいする反乱が起きている。イナムーは島に住んでいた白人にけしかけられて独立
をはかり、外国船にたいする海賊行為を働いていたのである。反乱そのものはその白人に鎮圧されてしまうのだが、カヘキリ王は
老骨に鞭打ち、ブラウン船長の船バターウォースでカウアイ島に向い、イナムーを説得。イナムーが服従を誓い、一件落着した。

82 Traveler 2017/10/12(木) 14:18:35 ID:
>>81続き

さて。バンクーバー二度目のハワイ訪問はカウアイ島の探査を持って締めくくられるが、植物学者メンジ-がまじめに
探査しているあいだ、乗組員マンビーとウィットニーという者たちは村の調査がてら、カヘキリ王の義兄弟である首長
の歓待を受け、あげく美女接待まで受けていた。マンビーは「夜明けが来るのが名残惜しかった」と、書き残している

1794年1月9日、バンクーバー三度目のハワイ訪問。ハワイ島ヒロに到着するも、折しもカメハメハは祭事の主催をして
いる最中のこととて、かれを外交交渉の席に引き出すのに難航する。バンクーバー提督は、「交渉をしないなら、船に
積んでいる武器や家畜は、カメハメハの宿敵マウイ島の王に渡す」と脅迫したと、下士官ベルは伝えている。やむなく
カメハメハは、祭事を短縮してバンクーバーと会見。然るにその席に、カメハメハの愛妻カアフマヌの姿は無かった
なんと当時の彼女には、カイアナ王子との不倫嫌疑がかけられていたのである

当時、カメハメハは西洋人水夫ボイドに指揮させてハワイ初の竜骨船を建造中であったが、竜骨の製造に難渋していた
しかるにバンクーバーの船大工も助力し、ついに長さ10メートル強で幅3メートル弱の竜骨船ブリタニア号が進水する
バンクーバーは板の間に詰める麻クズ(まいはだ)・マスト・帆ならびに大工道具も贈与した。一方ハワイ人らも既に
イルカ肉を煮て油脂を採り、それを船体に塗るという西洋式の工夫を、すでに会得していたという

83 Traveler 2017/10/13(金) 06:14:01 ID:
アロハー
84 Traveler 2017/10/13(金) 13:58:54 ID:
>>82続き

2月15日、バンクーバーはカメハメハと妻カアフマヌの和解を取り持った。カアフマヌの父ケアモクはマウイ島の有力者である
ことから、「この夫婦の不仲は、ハワイの平和を乱す」と判断したのだ。カアフマヌがしぶしぶ船に乗ってカメハメハの所に
来ると、バンクーバーは彼女の手を取りカメハメハと握手させた。ハワイ人には物慣れぬ儀礼ではあったが、「かくして夫妻
の仲は回復し、二人は感動の涙で抱き合った」と、バンクーバーは自画自賛している

2月19日、カメハメハはじめ酒を知らないハワイ王族らは、バンクーバーの船に招かれ洋酒(ワイン・ラム)をご馳走になる
結果、限度知らずに鯨飲して醜態を演じる者が続出した。そんな中カメハメハは生来アルコールに強いのか限度をわきまえて
いるのか、羽目を外すことは無かった。

その席に、かつてメットカーフ船長のアメリカ船を襲撃したカメイアイモクも参加した。彼は過去の西洋船への攻撃を弁明し
バンクーバーの許しを得ると、宴席に参加した。お尋ね者だった彼は西洋人とのつきあいが無いこともあり、粗野に見えた
初めてのワインでたちまち酩酊してしまい、おつきの者が「すわ毒殺!」と鉄串で作った手製の短剣に手をかけ、カメハメハ
が説明して事なきを得る一幕もあった。その間、バンクーバーは生きた心地がしなかったという

その後も弾薬箱の盗難(&返還)事件だの、贈与した家畜の養育・消費方法へのアドバイスといったエピソードが連続するが
この間、船上に招かれた王族の間で「英国に服属する」方針については、意見が一致した。方針は一枚岩ではなかったものの
ハワイ島の宿敵マウイ島にたいし安保上、優位に立つことが主目的だった。また、海外渡航経験をもつカイアナ王子からは、
バンクーバーの部下をハワイ島に残すよう要求された。おなじ英語圏の米国をはじめ他の白人国が来た時、ハワイを守る英国
の軍と、区別する為である